助けて欲しい
二日前に処置をした。その後は体調落ち着いていたのだけれどどうにも精神が安定しない。
物にあたる。大声で叫びたくなる。気が付くと意味不明の声をあげている。
いわゆる危ない人、近づいちゃいけない人、見ちゃいけない人になっている。
もしかしたら近所の人はそういった奇声を聞いてしまっているかもしれない。
意味のない事であるし何も得ることが無いのは十分わかっているつもりではある。しかし壁を叩いたり、冷蔵庫に頭をぶつけたりしたくなる。
当然なんの目的もないのだけれど、目の前というか頭の中が曇っていて特定の事に集中できない、霧を避けるかのように見晴らしをよくするためなのか手を動かしてしまう。
何か理路整然としたものを滅茶苦茶にしてすっきりしたいという矛盾に満ちた欲望が湧いているかのようでもある。
かといって本当に食器を投げたり窓ガラスに物を投げつけたりはしない。当然その後の片づけが大変なのは分かっているから。
でも本当にこのままだとやりかねない。
この前はペティナイフの先端を関節に当てて力を入れなちゃ痛くないのかとか従順なワンコが少し悪戯した程度で怒鳴って叱りつけてしまったり明らかに度が過ぎてきている。
虐待の心理などと特に最近取り上げられているけれど似たような状態なのかもしれない。助けて欲しい。誰か救ってほしい。
でも他人に人は救えないのは知っている。救われるのは自ら救われる努力をする人だけ。もう努力をするのも疲れてしまったら最後。
これ以上動けない、限界まで努力してみたけれど結局何も変わらなかった。自分でも驚くほど頑張って格好悪いほど努めてみたけれど結果は変わらない。努力できたことには自分でも嬉しいし途中で投げ出さなかったことは嬉しかった。それ自体は本当に涙が出るほど嬉しかった。
しかしその反面現実の自分の状況と周囲のギャップを感じるとやはり絶望しか感じ得ない。
3月は統計的に自殺が多い月だというが自分も3月にそうなるのかも知れないと思った。この時期は受験シーズン、入学準備時期で新生活に心弾ませる人も多いはずの季節だけれど受験時代が長すぎたのか毎年この時期は心が落ち着かない。もちろんそわそわではなくざわざわと不安な、どこにも居られない、どこに居ればいいのか全くわからないという心境なのである。
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続きを読む上手くいかない
娘が小さいときに自分の頭を叩いてデキナイ出来ないと言っていたことがあったのだが今になって自分にもその気持ちが分かってしまった。
自分としては正しいを努力しているつもり、客観的に見て予想以上の結果を期待はしていない、しかし得られる結果は散々たるものである。
自分が情けなくてその気持ちをどこにぶつければ良いのかわからず自分を叩いてしまう。
少し考えればそんなことをしても何も変わらないのだけれど心が落ち着かない、もちろんそれで落ち着くわけではないのだけれど。
昨日(27日)朝にまた障害の処置をしてその後一日は快適に過ごせたのだが今日は調子が悪かった。
ああ、ほんとうに苦しい、つらい、誰かに助けて、いや話を聞いてもらうだけでも多分楽になるんだろうけれどそんな人はいない。
逃避行動
逃避行動
それぞれの動物にとって危険あるいは不快な刺激や状況から逃げたり,あらかじめ察知して回避する行動のことらしい。自分の場合はこころの安定を保つために取る回避行動。心穏やかに生きたかったのに。
私も今まで幾度となく逃げ出したいと感じたことがあったが逃げ出したことはほぼなかった。
一度、休学しなんとか復学して無事卒業までこぎつけたことがある。その時に困難はレベルアップのための修行だと考えたこともあった。
当時は当然今よりも若くて体力・気力もあったし何より優先して行うこともあったからだろうが逃げるというより物事を処理するための順番を考えていた。
今改めて上のような記事を読んでみても何も感じなくなってしまった。そう、どうでもいい。
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毎日息がつまりそう。というよりも気が付くと息が詰まっていて深呼吸してしまう。
さっきもふと疲れて横になるといつの間にか寝てしまってしたようだ。苦しくて気が付いた。
夢の中でも許し請いをしている自分がいる。もちろん何か罪を犯したり道徳的に責められることをしていることはない。
それでも当然のように責め立てられ人格を否定され蔑にされている。
それでも楽しかったあの時を思い出してもう一度と想っている。
もう自分でも何が正しいのか、どうしたいのか、どうしたらよいのか、どうすべきなのかわからない。時間の過ぎるまま兎に角今できることだけをやっているつもりだが何も残っていない。
もう時間切れが近いのか。
MT5 Indi/EA
昨日、今日と昼間に屋外活動していても変な目で見られない貴重な時間があったのだがあまりそれらしい事はできなかった。
庭の手入れとワンコの世話で傍目からみたらどちらかというと有意義な生活を送っている人間に見えるのかもしれない。
特にドッグランなどに行ってしまうとそれは幸せに満ちたひと・犬が多くよけいに帰宅してから辛くなってしまう。
犬は本当に賢い。外ではとても活動的で他の犬にもじゃれているが私が離れていると元気づけてくれるかのように纏わりついてくる。
かといって自宅でも常に甘えてくる訳ではなく私がくたっていると黙ってこちらを見つめている。さも今の状況を理解しているようにも思えてしまうことが多い。
新しいことを始めるにもいろいろな事に焦ってしまい手につかない。思うように進まないとさらに時間がたってしまい自己嫌悪に陥り負のループに落ちてしまう。
今日は少し日々のルーティンをさぼってMT5のプログラミングを触ってみた。全く初めてだったが書式は見やすいもので関数などが知らないものばかりでサクサク作れるわけではなかったが簡単なインディケーターは作れた。
EAに作り替えようとするとどうも挙動が変わってしまうようでどこが原因なのかわからなかった。変数をモニターしようとしてもデバッグでウォッチできずお手上げ。時間をかけて色々なものを作ってみたいが時間はない。
睡眠時間以外にも削れるところはかなり削っているのだがどうにも一つにことに時間がかかりすぎる。手短に済ませているはずなのに、ああ。
どうにもやるせない気持ちで悲しくなる。
LINE
まさか本気であったとは
3年ほど前からどうにも自分に対する態度が冷たい、避けようとしていると感じられる時がありこちらもそれに対して態度を固くしたり余計に無関心を装うように反応してしまっていた。
もちろん常にという訳ではなかったので仕事が思うように進まず気が休まらないのだろうと考えていた。
ところがである。去年の秋、LINEで早く離婚届にサインしろと言われてしまった。
面と向かってでもなく、電話でもなくLINEである。
スマホの画面にこれまでの人生の中で最も打ちのめされてしまったのである。
頭のなかがグニャっとして息が苦しく動悸が収まらず体が自由に動かなくなった。
夜になるとより息苦しさはましいくら深呼吸をしても楽にならない。過換気なのかと紙袋呼吸をしてみても変わらない。そうかパニックになっているのかと思った。
心を落ち着けようと入浴してみても寒い、余計に動悸が感じられ呼吸も溺れたかのように荒くなってしまう。その夜台風の影響で何度か停電になり本当にこのまま死ぬのだろうとさえ感じた。
その日を境に本当につらい、苦しい、努力してきたこともなかなか続けられなくなってしまった。
そもそも子供の学習の為に単身赴任状態になったと考えていたのに私から離れるためだったと告げられた。
自分の人生だから自分を解放しろとも書かれた。
まさか私の人生を捧げていた人にこうも言われるのかととても悲しくなった。
今の仕事をするようになってから変わったなと感じるところは多かったがまさかこれ程までに打算的になっていたとは思わなかった。
私に尽くしてくれたと感じていたのは、私が障害のことを理由に同情を引いてそこに付け込んで良いように利用したというのだ 。
私は自分が障害者であるとか障害でつらいなどと他人に話したことがない。
そもそも障害者手帳も子供ができるまでは持っておらず、外見ではわからない為ひたすら隠し通してきた。
もちろん結婚前に親密さが増すにつれ告白しておかないといけないと彼女にだけは自分から話してはいた。
当然、最初からそういった話をするわけもなく結婚願望がとても強い様子だったからあらかじめ話しておこうと思ったからだった。
当時はその話をして嫌われても仕方ない当然とさえ思っていたから受け入れられたと感じた時は本当に嬉しかった。うれしかった。
どんどん人の記憶は書き換えられていくのだなと改めて感じた。
今の仕事は利益しかみていない、そんな連中が集まってきて担ぐ。実力があるからプロジェクトが上手くいく。さらに金を求めて集まる連中がいる。
私や周りの人にこともネタにされてもいた。私以外にも、そんなに役に立ってなかったのかと残念に感じた人もいた。
本当に金は人を変えてしまう。恐ろしい。恐ろしいほどに自分も変わってしまうかも知れない。
学生時代
今朝また障害の処置を行った。半分寝ぼけながらトイレに拘束され昔はどうだったかなぁと思いだそうとしたがはっきりとは思い出せなかった。
そう私は学生時代がとても長かった。
小さいころは入院もしたがそれほど学校を休まずに済んだので学年違いになることはなかったが、高校卒業してまず宅浪1年。
そしてある意味念願の理工学部に入ったのだがそこで出会い、国家資格取得のために再入学するべくいわゆる仮面浪人。
大学4年の卒論はほとんど先輩に完成させてもらって卒業したものの受験は失敗。
後期日程のところには受かったのだけれど前期日程で受けた大学にやはり通いたくて再浪人。
既にいい年であるが父親にそうだんすると仕送りを続けてくれるという。
父は地方出身で高校卒。日本を代表すると言っても良い大手上場企業に勤めていたがやはり学歴がない父は現場で昇進とはあまり縁がなかったようだ。
ただ設計の図面を自宅に持ち帰って考えていたり、小さいころはそういう父を見て人の役に立つ仕事をしているんだなと尊敬したものだった。
話が反れたが簡単に言えば実家はいわゆる一般家庭。金銭的な余裕はほとんどなく私学に4年も通わせ仕送りまでしてくれていたのだから、貯蓄もほとんど使い果たしてしまっていたのではなかったのだろうか。
ところが父はやってみたいんだろ?と一言で許可してくれた。
既に父が他界して10年近く経ってしまったが私が挑戦してみたいということを全力で応援してくれたのだと思う。言葉にして感謝をもっと表しておけば良かった。
浪人すれば必ず受かるとは限らないし生活費以外にも費用はかかる。
一つずつ解決すべく手伝ってもらい、自分が予備校に通いながら夜は教えるという生活を1年弱おくったことになる。
今考えると体力もやはりあったのだろう。そこまで苦も無く仕事、勉強と行う事が出来、翌春見事に合格。さらに講師業のスキルも多少身に着きその後の生活費を得るためのとても重要な練習ができたと思う。
そしてそこから6年間。途中休学2年間があったので結局6-3-3-1-4-1-8という超絶長い学生時代を過ごしたことになったわけである。